2017年3月3日金曜日

「為了明天あしたのために-第二十三話」

「為了明天-第二十三話」
(日本語訳は下へ)


「原來沒有蘋果」
這個是B先生的答案。聽起來不合理。
但這個的本意是...
如果B先生從「之前有蘋果」的點去找解決的方法或是感到後悔、這並不會幫到任何忙。
如果A先生還在為「之前有蘋果」的點生氣或難過也不會改變狀況。
因為已經沒有蘋果了...
A先生跟B先生要從「原來沒有蘋果」這個點找最好的解決方法。
不然永遠他們在同一個「之前有蘋果」的世界裡面,生氣,後悔,苦腦,放棄...這只是沒意思的感覺衝突而已。
因為沒有蘋果了...
不然一直在生氣,後悔,苦腦,放棄的世界…
然後會被負面情緒淹沒
為了不存在的東西去爭論,去尋找解決的方式,並沒有意義!
「原來沒有蘋果」的本意是・・・
需要冷靜面對現在狀況,努力找到最好的解決方式。
煦珈康一直告訴我"要活在當下!"
我們在剎那間可以重生
這個才是真正的"回到初心"
現在我面對的新世界裡是沒有之前在和平鄉學過的東西,也沒有以前那熟悉不夠水準的音樂世界。
只有煦珈康老師。
這個是一個事實。
如果我後悔,反思或哀嘆自己過去的失敗,錯誤。這永遠不會幫助我回到真的初心。
就是自我感覺肯定而已
就是自我反彈而已
就是自己在迴避而已
就是永遠持續找藉口
但是因為已經沒有蘋果...!
現在我面對的"新世界裡原本就沒有蘋果"!!!!
為了去真的明自這個事實,我接受了自己花了十年繞了一大圈然後再去面對五年的絕望落淚的地獄琴道修行。
未完持續...
(照片:2014年 煦珈康第二次來台表演。原來老師一直都在我前面帶領著我)
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「あしたのために 第23話』
「りんごは最初から無かった」
一見、理不尽のようなBさんの答え、
でも、それが意味するものは・・・
”りんごが有った世界”の延長で、 どれだけBさんが反省して、後悔して、弁償しても、何も解決しない。 どれだけAさんが、怒って、Bさんを罵っても何も解決しない。
だって、もうそこにはりんごが無いのだから・・・
「りんごは最初から無かった」という世界から、もう一度、AさんとBさんは考えなければ、何も解決しない。
そこから最善の方法を探そうとしなければ、何も変わらない。
”りんごが有った世界”の延長にある”りんごが無い世界”を怒り、嘆き、罵り、反省し、後悔し、諦めて、開き直っても、単純な感情の反発だけが、いつまでも続く…
永久に、怒り続け、嘆き続け、後悔し続け・・・
ついには、心を闇に支配されながら、それを隠して生きていくしかない・・・
だって、無いものを、有るかの様に扱い、考え、答えを出そうとしているのだから…
「りんごは最初から無かった」という認識は、
無いものを、有るかの様に扱わない。
現実を冷静に把握し、何が最善かを真剣に考えていく、という考え方。
シュジャート師匠は、何百回も、僕に「今を生きろ!!」と怒鳴り続けた!!
その瞬間、瞬間に、人は何度も何度も生まれ変わるという事。
それは、真の意味での”初心に返る”という事。
僕の目の前に有る世界には、もうシャンテニケタン時代に学んだことも、10年間のデタラメにシタールを弾いても褒めてくれる、偽りの音楽の世界なんて無い。
5年前に自分から飛び込んだこの世界には、目の前にシュジャート師匠がいるという事実。
そして、僕が、シュジャート師匠に弟子入りするまでの過去を、どれだけ反省し、絶望しても、
この5年間の過ちを、どれだけ悔やみ嘆いても、真の意味で”初心に返る”ことはない。
それは単純な感情の自己肯定でしかない。
それは単純な感情の自己反発でしかない。
それは単純な感情の自己回避でしかない。
そんなのは、いつまでの過去を引きずり、言い訳を並べているだけだ。
だって、りんごはもう無いのだから・・・!
僕の目の前に有る「今の世界」には、「りんごは最初から無かった」んだ!!!
その事に気が付くまでに、10数年の遠回りと、この5年間の絶望の涙を流す厳しい地獄の稽古が必要だった。
つづく・・・
(写真:2014年,シュジャート師匠2回目の台北公演時のサウンドチェック。いつも、目の前に師匠がいた...)

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