2017年4月12日水曜日

為了明天 あしたのために -最終話

「為了明天-最終話」(日本語訳は下へ)




在印度我們敬稱「師父」"Guru"
"Guru"的意思是「指導人們從黑暗到光明的賢者」
我的"Guru"煦珈康一直幫我照耀著往光明的地方。
但由於我的不成熟及愚蠢,我在沒有地心引力的太空飄浮...迷路到遙遠的幾萬光年,而現在Guru為我照耀的光已經離我至幾億光年了.
師父一直用心對我呼喚著說''跟隨我吧!" 但我就像是在黑暗裡很久的耍賴小孩一樣、沒看到沒聽到就哭著說 "我迷路了...走不動..."
如果我要開始真正信賴煦珈康師父
如果我要重新開始跟煦珈康師父學習
就是要努力到達幾億光年裡的光源...
這是難以想象的旅程
苦惱的
辛苦的
有可能會遇見更多絕望
有可能途中灰心失望
有可能永遠走不到...
但.......
我不想變成宇宙的碎屑永遠浮游在黑暗裡!!!
絕對不要!!!
回頭看到都是黑暗,留在原地也是黑暗
不然我要勇敢出發去找從遙遠傳來師父的聲音及光源
不管光源在幾萬光年,幾億光年裡
都要從第一步開始
為了要開始無盡的旅程,
我誠實寫了自己的錯誤,苦惱,恥辱。
但不是為了反省,懺悔及後悔。
這些只是自己找藉口,讓自己好過。
然後決定空掉自己的心,全部寫下來,全部吐出來。
為了重新開始跟煦珈康師父學西塔琴
「原來沒有蘋果」的本意指
不能持續拖拉著過去,必需要出發往未知的未來
我明白所有的本意之後
我已經沒有時間後悔
我完全沒有時間再苦惱
馬上從琴盒拿琴出來開始練習
就像有生以來第一次拿西塔琴
這個是我挑戰幾億光年旅程開始的第一步
因為...
"明天"不是昨天的延續
因為...
"明天"是來自未來的新的一天!!
-完-
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「あしたのために 最終話」
インドでは「師」を”グル”と呼びます。
”グル”の意は「闇から光へ導く者」と言う意味もあります。
今まで、グル・シュジャートカーンが,一生懸命に光を照らし導こうとてくれたのに、僕は己の未熟さ、愚かさのせいで、何万光年も見当違いの彼方を彷徨い、気が付いたときには、師匠の光から何億光年も離れてしまいました。
それは、もう長いこと、その光に目をつぶり、「おい!こっちだ!」という師匠の言葉に耳を閉ざし、暗闇の中で「迷子になった、もう歩けないよぉ」と駄々をこねる子供の様でした。
心からシュジャート師匠と向き合い、師匠から学ぶことを始めるには、何億万光年先の光の源まで、なんとかして必死にたどり着くしかない。
それは想像を絶する旅…
苦しくて
辛くて
途中で挫けそうになるかもしれない
今ままで以上に絶望するかもしれない
もしかしたら、たどり着けないかもしれない…
でも………
このまま宇宙の藻くずと化し、一生の間暗闇を彷徨うのは嫌だ!
それだけは絶対に嫌だ!!!
戻るも闇、留まるも闇なら、勇気を出して、遥か先に僅かに輝く光、微かに聞こえる声に向かって、一歩でも近づいていくしかない。
その光が何万光年、何億光年先にあろうとも、最初の一歩を踏み出すしかない。
その果てしない旅を始めるために、今までの間違っていたこと、恥ずかしいこと、知られたくないことを、素直にここに書いてきました。
でも、それは、懺悔でも、反省でも、後悔でもありません。
なぜなら、それは単なる感情の自己肯定にしか過ぎないから。
全て、書いて、吐き出す事で、心を空っぽにしたのです。
シュジャート師匠から学び始めるために!!
「リンゴは最初から無かった」は、過去を引きずらず、未知の明日に向かっていく事。
それがわかった今、
後悔している暇なんてない
悩んでいる暇なんてない
今すぐ、シタールをケースから出して、練習を始めます。
生まれて初めてシタールと向き合うように…
それが、僕の何万光年、何億光年の旅の第一歩。
なぜならば…
「あした」は、昨日の続きではなく、
「あした」は、未来からやってくる新しい日だから!!
-完-

2017年3月7日火曜日

「為了明天 あしたのために-第二十五話」

「為了明天-第二十五話」
(日本語訳は下へ)

在日本學習傳統藝術裡有一句
"守破離"
"守"是...
要信賴師父,且丟掉自私及自我,一切必需遵守教條,練習基本功夫直到熟練爲止。
"破"是...
學過師父的流派之後,研究其他流派。開始打破一些規範限制,然後因地制宜靈活運用。
"離"是...
超越所有規範與流派的限制,自創風格,達到無招勝有招的境界。
現在我要從"守"開始
真正信賴及面對自己師父煦珈康
不要持續後悔過去的事
不可以依賴不存在的事
就信賴...
師父煦珈康的演奏
他經過的苦惱人生
他努力創造的音樂
挑戰觀眾的真專態度
挑戰創造更好的音樂態度
我要丟掉自私
我要空掉自己的心
就純粹接受師父的存在
是回到「原來沒有蘋果」的開始點
是真正的"回到初心"
未完待續…
(照片:網路引用)
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「あしたのために第25話」
日本には「守破離」という言葉が有ります。
「守」とは、師匠を信頼し、自分を空っぽにし、初心に返り、その流儀を習い、流儀を守って励むこと。
「破」とは、 師の流儀を極めた後に他流をも研究すること。
「離」は、自己の研究を集大成し、独自の境地を拓いて一流を編み出すこと。
これから僕がすべきことは、まず「守」の部分。
自分の師匠・シュジャートカーンを信頼し、心から向き合うこと。
もうすでに無い過去に残心し、無いものに頼って、一喜一憂しなこと。
シュジャートカーン師匠の演奏、
苦悩の時間を生き抜いてきた人生、
懸命に創造してきた師匠自身の音楽、
今でも多くの観衆に挑む姿、
いつまでも音楽の高みに挑む姿、
とにかく、すべて、自分を空っぽにして、素直に、純粋に受け入れる。
それは「りんごは最初から無かった」から始める事。
初心になる事。
つづく・・・

「為了明天 あしたのために -第二十四話」

「為了明天-第二十四話」
(日本語訳は下へ)


11年前、師兄Yoshida Daikiti桑第一次跟煦珈康上課之後...
半年他在苦腦要不要持續學琴
他以前也像我一樣。在找煦珈康學琴之前、他也跟其他當地老師學習過。在日本也自己隨性彈玩。
但由於他從小就學吉他,他已經有基本音樂技巧及知識。在日本他也使用西塔琴跟不同的音樂家做融合跨界音樂。
對他印度音樂是只興趣,單純學習而已。
後來11年前他去找煦珈康學琴。
本來他有蠻多自信,但只花了一秒他的自信就破碎了...
他完全不懂煦珈康彈的東西。他覺得那是很不可思議的音樂。
完全無法瞭解...
他傷心之下,回去日本後大概半年無法拿琴...
他思考要不要持續跟煦珈康學西塔琴、或者放棄後繼續彈融合音樂。
他想了半年後決定回去印度繼續跟煦珈康老師學琴。
師兄也跟我一樣有苦腦的過程(但好像沒有被罵過)
終於從去年他可以越來越了解上課內容的一部分。
但今年上課的時候他問老師
「我可以了解技巧部分,但完全不明白為什麼您彈的時候聲音聽起來卻如此深厚...」
11年前他決定回去跟煦珈康學琴之後,他就拋棄之前他習慣的彈奏方式。
回到無聊的基本練習。
減少融合音樂的工作,就不停地練習。
他現在還有不想被老師看到的彈奏壞習慣。
幾年前他偷偷開始在德里表演。
但今年再次要表演前、被煦珈康老師發現..
老師問說要看他演出的影片和錄音。
師兄說...
「完蛋了!終於被發現了....嗚嗚...好吧,那就把Yo君一起拖下水吧!」
「乀...?」
後來我也被強拉到台上....
未完持續...
(照片1:我也被強拉到台上...嗚嗚... 2:老師演出時弟子要幫忙拿老師的樂器及行李)
*今年一月在德里India Habitat center師兄的演出↓
https://youtube.com/watch?v=vYBLZe6IqXs
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「あしたのために 第24話」
今から11年前、兄弟子のダイキチさんが、初めてシュジャートカーン師匠の稽古を受け、日本に帰った後…
半年も悩んだそうだ…
ダイキチさんも、僕と同じ様に、シュジャート師匠に弟子入りする前は、インドのローカルな先生にシタールを少し習い、あとは自分で勝手に弾いていたという。
子供の頃からギターを弾いていたので、音楽の基本技術や知識もあり、シタールを使って、いろいろなジャンルの音楽や芸能とコラボするフュージョン・シタール・プレーヤーとして、日本で活動していた。
あくまでインド古典音楽は趣味、自分の勉強のためだけ…
そんな経緯の後、11年前にシュジャート師匠に弟子入りをした。
しかし、目の前に座るシュジャート師匠のシタールから生み出される音が、一体全体、何なのか全然分からなかったそうだ。
最初はそれなりに自信があったそうだが、ものの1秒で崩れ去り…
そのショックで日本に帰ってからの半年間、師匠から習ったっことの復習はもちろん、シタールさえ弾けなかったそうだ。
もうシュジャート師匠にシタールを習うのを諦めて、今まで通りフュージョン・シタール・プレーヤーとして続けていくか、それとも、もう一度、師匠の所へ行くのか…
半年悩んだ末に、シュジャート師匠に学ぶ事に決めたそうだ。
それから11年・・・ 
僕と同じように苦しみ、悩み・・・
僕みたいに、あんなに怒られなかった様だけど…
ようやく、去年から師匠が弾いている事が少し理解できるようになったと言う。
今年の稽古でも、師匠が弾いてみせてくれたフレーズに、
「技術的に、どうやって弾いてるのかは分かります、でも、どうして、そんな音になるのか分かりません。」と聞いていた。
シュジャート師匠からシタールを学ぶと決めた11年前、
ダイキチさんは、今までの弾き方を全部捨て、単純で退屈な基本練習からやり直す事にしたそうだ。
フュージョン・シタールの仕事も減らし、明けても暮れても、寝てもさめても練習の日々。
11年経った今でも、絶対に師匠には聴かせれない、なかなか直らない、昔の悪い癖があるそうだ・・・
でも、師匠に内緒でデリーでコンサートしているのが、今年ついにバレてしまい、師匠からコンサートの録音を聴かせろって言われ、
「ヤバイ、ヤバイ、どうしよう……もうこうなったら、Yo君も道連れだ!」
と焦って、師匠に内緒だったコンサートのステージに、僕も上げられてしまいました・・・
つづく…
(写真1:半ば強制的に僕もステージの上へ・・・。でも、良い勉強になりました。2:去年から兄弟弟子で師匠のコンサートのお付。)
*今年一月にデリーIndia Habitat centerで行われた兄弟子ヨシダダイキチさんのコンサートの様子↓
https://youtube.com/watch?v=vYBLZe6IqXs

2017年3月3日金曜日

「為了明天あしたのために-第二十三話」

「為了明天-第二十三話」
(日本語訳は下へ)


「原來沒有蘋果」
這個是B先生的答案。聽起來不合理。
但這個的本意是...
如果B先生從「之前有蘋果」的點去找解決的方法或是感到後悔、這並不會幫到任何忙。
如果A先生還在為「之前有蘋果」的點生氣或難過也不會改變狀況。
因為已經沒有蘋果了...
A先生跟B先生要從「原來沒有蘋果」這個點找最好的解決方法。
不然永遠他們在同一個「之前有蘋果」的世界裡面,生氣,後悔,苦腦,放棄...這只是沒意思的感覺衝突而已。
因為沒有蘋果了...
不然一直在生氣,後悔,苦腦,放棄的世界…
然後會被負面情緒淹沒
為了不存在的東西去爭論,去尋找解決的方式,並沒有意義!
「原來沒有蘋果」的本意是・・・
需要冷靜面對現在狀況,努力找到最好的解決方式。
煦珈康一直告訴我"要活在當下!"
我們在剎那間可以重生
這個才是真正的"回到初心"
現在我面對的新世界裡是沒有之前在和平鄉學過的東西,也沒有以前那熟悉不夠水準的音樂世界。
只有煦珈康老師。
這個是一個事實。
如果我後悔,反思或哀嘆自己過去的失敗,錯誤。這永遠不會幫助我回到真的初心。
就是自我感覺肯定而已
就是自我反彈而已
就是自己在迴避而已
就是永遠持續找藉口
但是因為已經沒有蘋果...!
現在我面對的"新世界裡原本就沒有蘋果"!!!!
為了去真的明自這個事實,我接受了自己花了十年繞了一大圈然後再去面對五年的絕望落淚的地獄琴道修行。
未完持續...
(照片:2014年 煦珈康第二次來台表演。原來老師一直都在我前面帶領著我)
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「あしたのために 第23話』
「りんごは最初から無かった」
一見、理不尽のようなBさんの答え、
でも、それが意味するものは・・・
”りんごが有った世界”の延長で、 どれだけBさんが反省して、後悔して、弁償しても、何も解決しない。 どれだけAさんが、怒って、Bさんを罵っても何も解決しない。
だって、もうそこにはりんごが無いのだから・・・
「りんごは最初から無かった」という世界から、もう一度、AさんとBさんは考えなければ、何も解決しない。
そこから最善の方法を探そうとしなければ、何も変わらない。
”りんごが有った世界”の延長にある”りんごが無い世界”を怒り、嘆き、罵り、反省し、後悔し、諦めて、開き直っても、単純な感情の反発だけが、いつまでも続く…
永久に、怒り続け、嘆き続け、後悔し続け・・・
ついには、心を闇に支配されながら、それを隠して生きていくしかない・・・
だって、無いものを、有るかの様に扱い、考え、答えを出そうとしているのだから…
「りんごは最初から無かった」という認識は、
無いものを、有るかの様に扱わない。
現実を冷静に把握し、何が最善かを真剣に考えていく、という考え方。
シュジャート師匠は、何百回も、僕に「今を生きろ!!」と怒鳴り続けた!!
その瞬間、瞬間に、人は何度も何度も生まれ変わるという事。
それは、真の意味での”初心に返る”という事。
僕の目の前に有る世界には、もうシャンテニケタン時代に学んだことも、10年間のデタラメにシタールを弾いても褒めてくれる、偽りの音楽の世界なんて無い。
5年前に自分から飛び込んだこの世界には、目の前にシュジャート師匠がいるという事実。
そして、僕が、シュジャート師匠に弟子入りするまでの過去を、どれだけ反省し、絶望しても、
この5年間の過ちを、どれだけ悔やみ嘆いても、真の意味で”初心に返る”ことはない。
それは単純な感情の自己肯定でしかない。
それは単純な感情の自己反発でしかない。
それは単純な感情の自己回避でしかない。
そんなのは、いつまでの過去を引きずり、言い訳を並べているだけだ。
だって、りんごはもう無いのだから・・・!
僕の目の前に有る「今の世界」には、「りんごは最初から無かった」んだ!!!
その事に気が付くまでに、10数年の遠回りと、この5年間の絶望の涙を流す厳しい地獄の稽古が必要だった。
つづく・・・
(写真:2014年,シュジャート師匠2回目の台北公演時のサウンドチェック。いつも、目の前に師匠がいた...)

「為了明天あしたのために-第二十二話」

「為了明天-第二十二話」
(日本語訳は下へ)

在這個五年中,煦珈康老師給了我地獄琴道的上課...
他用火爆的方式想告訴我事情是...
「如果你想跟我學,就要丟掉亂七八糟的彈奏! 」
「丟掉假的自尊心,打開你的心!」
「要信賴我!」
「不要怕"無知",懊惱,辛苦,來一起學習!」
他一直用地獄的火炎燒著我的自尊心及我粗糙補丁般的紙板西塔琴!
他用烈火的愛要擊碎我的心牆!
但我沒有了解,只有在怕...
我完全沒面對他...!
所以我沒辦法學到他直接彈奏給我看的Raga,旋律的本意,等等...
所以花了五年之後,還無法彈最簡單的東西
所以花了五年之後,還是不像老師的音
我可以彈的就是像那自私的小丑彈的紙板西塔琴...
老師一直在提醒我...
但我沒有真正信賴他
但我沒有學到任何東西
所有的答案都在「原本沒有蘋果」的本意了!!
未完持續...
(照片: 煦珈康老師的音樂總是充滿著愛。不只溫暖但也有嚴肅的愛…)
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「あしたのために第22話」
今までシュジャート師匠がつけてくれてきた地獄の炎の稽古の数々…
あんなに怒鳴ってまで、僕に何を気付かそうとしてくれていたのか…
それは…
「俺にシタールを習いたいなら、そんなデタラメな演奏をやめろ!」
「そんな偽りの自尊心なんか捨て去って、俺に心を開け!!」
「昔の先生でなく、目の前に居る俺にしっかり向き合え!」
「知らないと言う事を怖れるな、悩み傷ついてもいいんだ、必死に学べ!!」
そうやって、僕のちっぽけな自尊心と継ぎ接ぎだらけのダンボールシタールを、シュジャート師匠は、激しい炎で焼き尽くそうとしてくれていた!
烈火のごとく怒るという本当の愛で、僕の心の壁を打ち砕こうとしてくれた!
なのに、僕はただ怯えていただけだった…
目の前に座っているシュジャート師匠と向き合ってこなかった…
だから、5年間、師匠が僕の目の前で、一つ一つ丁寧に弾いてくたラーガ、メロディーの意味、フレーズの扱いかた、どれ一つして学べていなかった。
だから、5年経った今でも、教えてもらった簡単なフレーズすらも弾けない。
だから、 5年経った今でも、まったく師匠に似てこない。
弾けるのはシャンティニケタン時代から変わらない、つぎはぎだらけの自分勝手なダンボールのシタールだけ。
師匠は、厳しく叱って僕に、その事を気付かせてくれようとしていたのに…
僕は、ただ恐いとか情けないなど、単純な感情で幼稚に反応していただけだった。
この5年間、シュジャート師匠と向き合ってこなかった…
この5年間、シュジャート師匠から何も学んでこなかった…
すべての答えは「りんごは最初から無かった」にあった!
つづく…
(写真:先生の音楽には愛が溢れている。温かい愛だけでなく、もちろん厳しい愛も・・・)

「為了明天あしたのために -第二十一話」

「為了明天-第二十一話」
(日本語訳は下へ)






想不到答案,已經第二天早上了...
Y「.....啊啊啊啊啊....!!!! 有可能....有可能..原來...!!!!」
兄「懂了嗎?」
Y「有可能...之前跟和平鄉的老師學過的東西和現在跟煦珈康老師的東西是完全不同世界的事情嗎?」
兄「對!你要理解這兩個東西是存在完全不同的世界!」
那我在這個十年來學的東西是怎麼?我的這個十年是無意義嗎?
我跟師兄說明我跟煦珈康學琴之前的事(在回憶錄寫的事)
那時候我說
「我在跟煦珈康學之前、跟和平鄉老師學的都是基本功」
兄「錯!!」
他馬上否定...
Y「乀.....!?」
兄「那,我們一起聽聽看和平鄉的老師的演奏吧。在YouTube找找看」
好像要轉開有可怕小丑會跳出來的玩偶匣的感覺。心臟快跳出來..
按"播放"...
Y・兄「啊啊啊!一模一樣!!!」
他的演奏方式跟我的一模一樣!
這就是我被罵時彈奏一模一樣的東西....!!!
兄「你聽!完全跟煦珈康彈得方式不一樣!從基本技巧到應用方式都不同。
你上課時用之前學過的東西去套在煦珈康教的東西,這樣是你還在面對之前的老師,不是煦珈康。這樣永遠學不到!絕對學不到!!」
改天我跟Leo君的媽媽說了這件事...
她馬上罵我!!
「不行!絕對不行!學生必須要信賴老師,要學習現任老師的音。絕對不可以依賴之前學過的東西。如果Leo做同一的事,我會打死他!!」
我從來沒有想過"尊敬老師"及"學習"的真意...
這個五年從來我沒有真正面對煦珈康
我一直依賴之前學過的彈奏方式...
依賴自己之前從CD模仿的彈奏技巧...
還有...
因為有自負的自信,沒認真練"真正的基本練習"
還有...
我以爲我的''初心'' 是10年前開始學西塔琴的初心、
但是...
我的初心應該是要從跟煦珈康
學習的第一天開始
還有...
我沒有真的完全信賴老師
還有...
我完全沒有細心聽他彈的音
還有...
我完全沒有學到任何東西!
我-明-白-了...!!!!!!!
終於我明白了這個五年我在做什麼...!!
我在明白自己的錯誤之後,後悔,憤怒,悲慘,恥辱,所有的情緒都來襲擊我!!!!!!
啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊!!!!!!!
所有的答案都在「原本沒有蘋果」的本意了!!!!
未完持續...
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『あしたのために第21話』
謎の問答を考え始めて、2日目の朝が来た・・・
Y「あぁぁ、ぁぁ、あぁ!!も、もしかして、もしかして・・・もしかして・・・」
ダ「やっとわかった・・・?」
Y「もしかして・・・前の先生に習ってきた事と、いまシュジャート師匠から習っている事は、別の世界ってことですか・・・?」
ダ「そう!!別の世界と認識するという事!!!」
じゃあ、この10年間やってきたことはなんだったんだ・・・!?
ダイキチさんに、シュジャート師匠に習いに来るまでの経緯を話した。
この投稿の回想篇で書いた事を、懸命に話した。
そして、最後にこう言った・・・
「前の先生のところで、シタールの基礎をしっかり着けてから、シュジャート師匠に弟子入りした。」
ダ「それ、、違うよ!!」
あっさり否定された・・・
Y「!!・・え??」
ダ「じゃあ、ちょっと前の先生の録音を聴いてみようか? youtubeに上がってない?」
なんだか、びっくり箱を開ける前みたいな感じだ。心臓がバクバクする。
youtube上にある、前の先生の録音を探し出して再生する・・・
ダ・YO「んんんん・・・!そっくりだ!!」
今の自分の弾き方にそっくりだった!
シュジャート師匠に、いつもこっぴどく叱られている僕の演奏にそっくりだった…!
ダ「ほら、基本からして、全然違うじゃん!まったくの別物!前の先生の弾き方の延長で、シュジャート師匠の稽古に臨んでいるけど、それは、シュジャート師匠には学ばず、前の先生に学んでいるのと同じ事だ!!前の先生の弾き方の延長で、シュジャート師匠に学ぶなんて絶対に無理!! 」
その話を後日、レオ君のお母さんにすると…
「アカン!アカン!そんなの絶対にアカン!師匠を信頼して師匠の音で学ぶんだから、いつまでも前の先生の弾き方をしてたら絶対にアカン!もしうちのレオがそんなことしたら、張り倒してるわ!!」
きつく叱られた。
ぼくは、真の意味で”師を敬う”とは、”師に学ぶ”とは何かを考えていなかった。
シュジャート師匠の稽古で分からない事を、
前の先生が教えてくれた技術に頼っていた・・・
この10年間勝手に寄せ集めた有名なシタール奏者の雑なコピーに頼っていた・・・
さらに・・・
自分の技術を過信して、やってこなかった本当の基礎練習…
”初心に返る”といった心が、既に違っていたことに気付かなかった愚かさ…
シュジャート師匠を目の前にしながら、初心を忘れていた…
シュジャート師匠に心を開かず、閉ざしていた…
シュジャート師匠が、弾いて見せてくれた音を聴いていなかった…
シュジャート師匠が、説明してくれたイメージや言葉を聞いていなかった…
今になって…
やっと、今になって…
自分がこれまで何をしてきたのか…
わ、わ、わ、わ、わかった……!!!!!
すべてがわかった瞬間に、後悔、恥ずかしさ、情けなさ、憤り、悲しみ、様々な感情がどっと押し寄せてきた・・・
だああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
僕は床を転げまわった・・・・・・
すべての答えは「りんごは最初から無かった」にあった!
つづく・・・

2017年2月27日月曜日

「為了明天あしたのために-第二十話」

「為了明天-第二十話」
(日本語訳は下へ)

師兄提出一個不可思議的問題…
完全找不到答案
兩天沒有睡覺...
拜託讓我睡覺...
兄「好了,我先給你答案。你要想理由吧。B先生說"原來就沒有蘋果"」
Y「啥!!!!!!!!?????????」
兄「你的彈奏跟老師的不像的原因是在這個答案裡」
Y「?????????????」
兄「為什麼你跟不上上課的原因也是一樣」
Y「!!!!!@@##$%?????」
兄「我猜你真的尊敬的人是之前的老師吧?你完全沒有尊敬煦珈康吧?對不對?」
Y「不對不對!我很尊敬煦珈康老師」
兄「錯!你在面對的人是之前的老師吧?」
Y「.......????」
他在說怎麼?
我的腦已經無法轉動了...
他講的蘋果故事,上課的事,煦珈康的事,和平鄉的老師的事,都完全沒有關係...
都是不同的次元的事...
完全不同...不...同...?
不...同...的...次...元...!!???
「.....啊啊....!!!! 有可能....有可能..原來....」
突然腦裡聽到爆炸聲...!!!
自己可以感覺到身體裡的血在逆流...
目前變空白...
有可能,有可能我一直在犯很大的錯誤......!!!
未完持續...
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「あしたのために-第20話』
兄弟子のダイキチさんから出された謎の問答。
いくら考えてもわからなかった…
もう2日も寝てない…
寝かせてくれ…
ダ「じぁ、答えを先に言って、答えの意味を考えようか。 答えは…”リンゴなど最初から無かった” ってBさんは答えた。」
Y「え?え?え?ええええええええ???それってどういう事ですか?」
ダ「Yo君のシタールが師匠と似てない理由も、この答えの中にあるよ。」
Y「え?え?え?ええええええええ???」
ダ「Yo君がクラスで、トンチンカンな演奏をしちゃう理由も、この答えの中にあるよ。」
Y「え?え?え?ええええええええ???」
ダ「Yo君が尊敬しているのは昔のシャンテニケタンの先生なんじゃない?シュジャート師匠でなくて…」
Y「えええええ???そんな事ないです!こんなに師匠を尊敬しているのに…」
ダ「いやいや、Yo君が向き合っているのは、今の師匠でなくて昔の先生だよ…」
「………?」
この人は何を言っているんだろう…
朦朧とする頭で考えた…
りんごの話も、シタールの話も、稽古の話も、師匠の話も、前の先生の話も、どれも全然別の話じゃないか…
まったく別の世界の話じゃないか…
まったく…べ、べつ…???
べつのせかい…?
「……あ、あ、あ、あ、あ…、も、もしかして、もしかして・・・もしかして・・・」
突然、頭の奥で何かがはじけた…
耳の奥で血が逆流する音がうなってる…
目の前が真っ白になった…
もしかした、僕はとんでもない勘違いをしてきたのかもしれない…!!!!
つづく・・・