2017年2月24日金曜日

「為了明天 あしたのために -第十話 回憶錄の伍」





「為了明天-第十話 回憶錄の伍」
(日本語訳は下へ)
我還記得跟和平鄉的老師開始學西塔琴過大概二個星期的一個早上發生的事。
那一天跟平常一樣我去老師家上課。進入小小很冷的音樂室,我看到他在聽著收音機哭著...
我問他發生怎麼事?
「Ustad Vilayat Khan去世了...」
「Vilayat Khan...?是誰?」
「是最偉大的西塔琴大師。他是所有西塔琴手的太陽!」
老師指著掛在牆上的一個老人的照片。
我第一次發現Vilayat Khan的存在時,他已經是偉大的落日了。
離開老師家之後,我去書店ㄧ角賣錄音帶的地方買了Vilayat Khan的錄音帶。
他的西塔琴完全超出我的想像。
有如龍捲風的旋律、穿入我的心裡。
這個是印度音樂嗎...?這個是西塔琴嗎...?
說實話真是難以理解的音樂...
但我愛上其中一個Vilayat Khan與煦珈康在倫敦表演的錄音。
煦珈康彈的Surbahar(低音西塔琴)衝擊到我。
很感動...
從來沒有聽過那麼讓人感動的音樂。
印度的錄音帶質料很差。在夏天很熱磁帶會融化,在冬天很冷磁帶會斷裂。
重複聽重複聽重複聽重複聽...
聽到磁帶被磨損。再去買新的再繼續重複聽。
我已經愛上煦珈康的演奏。
「有一天我想跟他見面」
我的夢想越變越大。
這是我面對艱難困苦的"真正的"琴道修行。8年前的事。
答案在「原來沒有蘋果」的本意裡...
未完持續...
(照片1:在和平鄉的西塔琴老師 2:在老師家牆上的Ustad Vilayat Khan 3:Vilayat Khan與煦珈康錄音磁帶的封面。youtube上可以欣賞→https://www.youtube.com/watch?v=gz4tC23vDbA&t=2371s
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「あしたのために第10話 回想篇-その5」
今でも覚えているのが、シャンティニケタンで紹介された先生から,シタールを習い始めて、2週間が経ったある朝。
いつもの部屋に先生を訪ねると、ベットが一つあるだけの冷たいコンクリートの部屋で、先生は泣きながらラジオを聴いていた。
何事かと思い、たずねると、
「ヴィラヤット・カーンが亡くなった・・・」
「ヴィラヤット・カーン?」
「偉大なシタール奏者だ。シタールを弾くものすべてにとっての太陽だ」
壁に掛けてある、一人の老人の写真を指差してそういった。
僕が、初めてヴィラヤット・カーンの存在を知った時、すでに偉大なる太陽は西に沈んでいた。
先生の自宅を後にした後、町の本屋でヴィラヤット・カーンのカセットテープを買った。
今までの、僕の漠然としたシタールの固定概念を覆す凄まじさだった。
うねる様なターン。
心臓をえぐるようなフレーズ。
これってインド音楽なのか?
正直言って、理解不能だった・・・
しかし、いくつかのテープの中でも、ヴィラヤット・カーンとシュジャートカーンのロンドンでのコンサートの録音には、虜になった。
シュジャートカーンの弾くスルバハール(低音のシタール)の音に、完璧に参ってしまった。
胸に熱いものが湧き上がってくるのを感じた。
こんなにも感動する音楽があるんだ。
安いインドのカセットテープは暑い夏には伸び、冬には固まってしまう。
テープが擦り切れるまで何度も聴いた。
擦り切れては、新しいものを買い求め、ひたすら聴いた。
すっかり、シュジャートカーンの演奏に夢中だった。
「いつか、この人に会いたい」
いつしか、そう思うようになっていた。
怒られ、悩み、想像を絶する地獄の様な本当のシタール修行が始まる8年前の事・・・
すべての答えは「りんごは最初から無かった」にある…
つづく・・・
(写真1:シャンティニケタンでのシタールの先生と。2:先生宅の壁に飾ってあった、ヴィラヤット・カーンの肖像 3:ヴィラヤット・カーンとシュジャートカーンのロンドンでのコンサートの録音。youtube上でも鑑賞できます→https://www.youtube.com/watch?v=gz4tC23vDbA&t=2371s

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