2017年2月14日火曜日

「為了明天 あしたのために -第九話回憶錄の肆」





「為了明天-第九話 回憶錄の肆」
(日本語訳は下へ)
兩年後....我來到了加爾各答。
我還是無法完全忘掉西塔琴。
想再次挑戰學琴。我去了加爾各答的樂器行尋問西塔琴老師。但當時我只是個無法講流利英語日本年輕人...
當然找不到任何的情報。一直很困惑。
有一天,在背包客住的便宜旅館裡認識了一個不丹人,他告訴我在Santiniketan(和平鄉)有一個很好的西塔琴老師。這位不丹人是在和平鄉大學讀藝術的學生。他說如果我有興趣的話,他可以帶我回去和平鄉幫我介紹老師。我想都沒有想就答應了。這真是天上掉下的禮物啊。
改天早上搭上老火車一路前往和平鄉。
我非常期待跟新的西塔琴老師見面。
前往和平鄉的火車上,木頭椅子很冰很硬,但興奮的我卻覺得坐的很舒服。
不過那時候我並不知道ㄧ句在日本重要的一句話。
「選老師就像開始學習第一個重要的事」(師匠選びも芸のうち)
如果你想認真學習東西的話,第一件需要的事是認真去找自己可以尊敬的導師。
有時被真心想教好你的老師責罵而感到受傷或是苦惱。必需要能不放棄然後繼續挑戰。這樣我們才能真的從老師身上了解學習的意義。
我當時只是個血氣方剛再訪印度的年輕人...
沒有忖前思後
完全沒想到這句話的重要性。
「選老師就像開始學習第一個重要的事」(師匠選びも芸のうち)
因為不知道這一句話。自己就得面對繞了一大圈才找到如此艱難困苦的"真正的"琴道修行。
答案在「原來沒有蘋果」的本意裡...
未完持續...
(照片1:喧騒の城市・加爾各答 2:跟不丹朋友在和平鄉)
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「あしたのために第9話 回想篇-その四」
それから約2年後・・・
僕はカルカッタの街を訪れていた。
シタールを諦めきれなかった。
粉々に散ったはずのシタールへの想いが再び舞い戻り、シタールを習える先生を探そうと、カルカッタの楽器屋へ足を運んだが、右も左も分からず、英語もろくにしゃべれない僕には、なす術もなく途方にくれるばかりだった。
ある晩、バックパッカー御用たちのドミトリーで知り合ったブータン人が、シャンティニケタンという村に、シタールの先生が居ると教えてくれる。
彼はシャンティニケタンの大學で美術を学んでいるらしい。そして、音楽科のシタールの先生を紹介してくれるというのだ。
明日の朝にシャンティケタンに帰るので、一緒に来ないかという。
渡りに船と二つ返事で承諾。
「きっと素晴らしい先生に出会える」と胸を躍らせながら、翌朝シャンティニケタンへ向かうのローカル列車に乗った。
ごつごつとした木の椅子の冷たさが心地よかった。
しかし、日本には「師匠選びも芸のうち」という言葉がある。
本当に何かを学び習得するのなら、まずは心から尊敬できる師匠を見つけること。
それには、真剣に向き合って、怒ってくれる師匠に、時には悩み、傷つきながらも、無我夢中で真剣に挑んでいく。
そうやって師に学び、芸を習得してゆく…という意味が込められている。
若さという熱に浮かされ、再び訪れたインド。
右も左も分からぬ街で、藁にもすがるようにシタールの先生探し…
「師匠選びも芸のうち」という学ぶ上で、一番大切な言葉なんて、全然知らなかった。
そして、その十数年後の怒られ、悩み、想像を絶する地獄の様な本当のシタール修行から、遠い遠い回り道をすることになる・・・
すべての答えは「りんごは最初から無かった」にある…
つづく・・・
(写真1:喧騒の街カルカッタ 2:ブータンの友人とシャンティニケタンにて)

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