2009年3月15日日曜日

受到朋友拜託・・・

受到朋友拜託,要在季刊>上撰寫一篇文章。這篇文章會刊載在「一種職業」 的篇章裡,題目是「為何成為西塔琴的演奏者?」「對你而言,西塔琴是……?」

雜誌的總編輯,是我推心置腹的好朋友;又 > 本身,並非一本以快速報導具商業利益消息的八卦雜誌;而是用心經營每一頁,把想傳達的消息,編進雜誌中的美好刊物。我原本是想寫點什麼了不起的報導,然而以我的立場來說,不過是一時地興致高漲,等回神時,才驚覺自己已成為西塔演奏者的泛泛之輩,因此很遺憾地,實在也寫不出什麼光榮紀事。

小時候,對自己長到後要做什麼?為何對印度這個國家,有所接觸?即便自己感到丟臉到了極點,但何以繼續選擇在世人面前露臉的工作?以上種種,一邊追溯自己的過往,一邊仔細回想,無可厚非,多半是受到父母親的影響。

我的母親,年輕時,有兩年是自己獨自一人於印度流浪的女強人;父親年少時的夢想,則是成為詩人或是舞台劇演員。日日寫詩,創作劇本,並登台演出。

某天,我們牽著父親的手,一同步行前往托兒所的路上,不知為何,我向父親問起:「爸爸小時候想做什麼呢?」經我這麼一問,父親略帶羞澀地向前仰望,一邊回答:「爸爸曾經想當詩人。」我和妹妹對於詩人二字,是一點概念也沒有,所以便反問父親說:「詩人是什麼啊?」「嗯,詩人啊,是編織文字的人喔。」父親以溫柔的眼神,注視著我和妹妹回答。後來,父親又說了些什麼,我們根本不記得;但他當時的表情,至今依舊清晰地浮現於腦海。

總是十分帥氣的父親,也是有煩惱的時候。

有一天,同往常父親由學校返家後,突然把我和妹妹叫到房裡去,臉上略帶怒氣地發問:「你們長大後要幹嘛?」實在不解父親為何如此激動,我和妹妹倆站著發愣。一會兒,父親才說:「其實今天在學校……。」他所說的,是當天他在和學校的老師說話時,有一位同事提到:「我問我的孩子將來想做什麼時,他回答我說:『要當渦輪噴射引擎』喔!」那位同事是滿心歡喜。
聽他這麼一說,父親當下便覺得:「我家孩子可不能輸!」頓時二話不說,飛奔回家。在一旁聽到這番談話的路人母親,搧風點火地應和:「對啊,怎麼可以輸呢!」,接著完全棄準備晚餐一事於不顧,與父親熱烈討論起來。

氣氛如此詭異,使我和妹妹有點懼怕。

父親突然盤起雙腳,對我說:「好,以後要是有人問起你以後要做什麼的話,你就回答說:『我要當夜空裡閃爍的星星。』」接著轉向妹妹說:「你就回答『我要做為你守候港口裡的風。』 這樣就不會輸給任何一家的孩子了。以後就這麼辦。」 父親咆嘯著。

那晚,在我和妹妹熟記那兩句台詞以前,不准入睡。
如此深受期待,在夜空裡閃爍的星星,如今,在台灣彈著西塔琴。

究竟是否有持續發光發亮著,說實在,我沒甚麼把握;但終究沒有成為流星,僅一瞬即無蹤,可算是幸運的吧。
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友人の発行する季刊誌・Garden91からエッセィを頼まれた。私の書いたものが「一種職業」というページにのるらしく、お題は「なぜシタール奏者になったのか?」「あなたにとってシタールとは」といったもの。

この雑誌の編集長とは気の置けない中。それにGarden91は商業ベースにちゃっかり載るような軟派な雑誌ではなく、一ページ一ページに心をこめて、伝えたいことを織り込んでいくような素敵な雑誌。何とかしていい記事を書きたいのだが、私の場合、好きが高じて気がついたらシタール奏者になっていたようないい加減な人間なので、残念ながらあまりカッコいいことは書けないのである。

小さいころは大人になったら何になりたかったのか、なぜインドという国を知ったのか、本当は恥ずかしがり屋なのになぜ人前に出る職業に就いたのか、などを自分の過去を振り返りながら考えていると、三つ子の魂百まで、どうやらそれは両親の影響らしい。

私の母は若い時分に2年間女一人で印度放浪をした強者だし、父は若いころの夢は詩人か演劇役者。詩を書き、戯曲をかいては舞台に立つ日々。血は争えないものである。

さて、母のことはgarden91のエッセイに書くとして、ここに書くのは父との思い出である。

ある日、保育園に通う道を向かう父と手をつなぎながら歩いているときに、何となしに「お父さんは小さいころ何になりたかったの?」と聞いたことがある。すると、父は少し恥ずかしそうに向こうの方を見上げながら

「お父さんは詩人になりたかったんだよ」

といった。

詩人の詩の字も知らない私と妹が

「詩人てなーに?

と聞き返すと、

「うーん、詩人てのはねぇ、言葉を紡ぐ人のことを云うんだよ」

と、優しい目で私と妹を見つめた。

 その後、私たちが父になんと答えたのか忘れてしまったのだが、そのときの父の表情はいまでもしっかりと覚えている。

 なかなかカッコいい父なのだがときには困ったこともある。

 その日、いつものように学校から帰ってくると父は突然私と妹を居間に呼んで、

「お前たちは大人になったら何になりたいのだっ。」

と怒ったように聞いてきた。

 なぜ父がそんなに興奮しているのかわからず、私も妹ともぽかんとしていると、

「実は今日な学校でな…」と、父が語るには、その日学校の先生方と話しているときにある同僚の先生が、

「うちの子供に将来何になりたい?ってきいたら、『ターボエンジン!』て答えたんだよ」

とうれしそうに話したらしい。

それを聞いた父は

「家の子供だって負けないぞ!」

と、いきり立って家に飛んで帰ってきたらしい。

その話を横で聞いていたお調子者の母は

「そうよ、負けてたまるもんですか!

と大騒ぎ。

 晩御飯の支度をほったらかして父とああでもないこうでもないと相談している。

なんだか異様な雰囲気に私も妹もたじろいていると、

父がいきなりずずっと膝をすべらして、私には

「よし、今度よその人に何になりたいか聞かれたら、お前は『あの夜空に輝く星になりたい』っていうんだぞ!」

そして妹には、

「お前は『あなたを待つ港の風になりたい』と答えるんだ! これならどこの家の子供にも負けないぞ。今から稽古だ!」

と吠えた…。

その夜は私も妹もそのセリフを完璧に覚えるまで眠らせてもらえなかった。

そんな期待すべき夜空に輝く星は、今は台湾でシタールを弾いている。

果たして輝いているのかどうかは心もとないが、まだ流れ星になって散っていないだけ幸いだということにしておこうと思う。

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