2017年4月12日水曜日

為了明天 あしたのために -最終話

「為了明天-最終話」(日本語訳は下へ)




在印度我們敬稱「師父」"Guru"
"Guru"的意思是「指導人們從黑暗到光明的賢者」
我的"Guru"煦珈康一直幫我照耀著往光明的地方。
但由於我的不成熟及愚蠢,我在沒有地心引力的太空飄浮...迷路到遙遠的幾萬光年,而現在Guru為我照耀的光已經離我至幾億光年了.
師父一直用心對我呼喚著說''跟隨我吧!" 但我就像是在黑暗裡很久的耍賴小孩一樣、沒看到沒聽到就哭著說 "我迷路了...走不動..."
如果我要開始真正信賴煦珈康師父
如果我要重新開始跟煦珈康師父學習
就是要努力到達幾億光年裡的光源...
這是難以想象的旅程
苦惱的
辛苦的
有可能會遇見更多絕望
有可能途中灰心失望
有可能永遠走不到...
但.......
我不想變成宇宙的碎屑永遠浮游在黑暗裡!!!
絕對不要!!!
回頭看到都是黑暗,留在原地也是黑暗
不然我要勇敢出發去找從遙遠傳來師父的聲音及光源
不管光源在幾萬光年,幾億光年裡
都要從第一步開始
為了要開始無盡的旅程,
我誠實寫了自己的錯誤,苦惱,恥辱。
但不是為了反省,懺悔及後悔。
這些只是自己找藉口,讓自己好過。
然後決定空掉自己的心,全部寫下來,全部吐出來。
為了重新開始跟煦珈康師父學西塔琴
「原來沒有蘋果」的本意指
不能持續拖拉著過去,必需要出發往未知的未來
我明白所有的本意之後
我已經沒有時間後悔
我完全沒有時間再苦惱
馬上從琴盒拿琴出來開始練習
就像有生以來第一次拿西塔琴
這個是我挑戰幾億光年旅程開始的第一步
因為...
"明天"不是昨天的延續
因為...
"明天"是來自未來的新的一天!!
-完-
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「あしたのために 最終話」
インドでは「師」を”グル”と呼びます。
”グル”の意は「闇から光へ導く者」と言う意味もあります。
今まで、グル・シュジャートカーンが,一生懸命に光を照らし導こうとてくれたのに、僕は己の未熟さ、愚かさのせいで、何万光年も見当違いの彼方を彷徨い、気が付いたときには、師匠の光から何億光年も離れてしまいました。
それは、もう長いこと、その光に目をつぶり、「おい!こっちだ!」という師匠の言葉に耳を閉ざし、暗闇の中で「迷子になった、もう歩けないよぉ」と駄々をこねる子供の様でした。
心からシュジャート師匠と向き合い、師匠から学ぶことを始めるには、何億万光年先の光の源まで、なんとかして必死にたどり着くしかない。
それは想像を絶する旅…
苦しくて
辛くて
途中で挫けそうになるかもしれない
今ままで以上に絶望するかもしれない
もしかしたら、たどり着けないかもしれない…
でも………
このまま宇宙の藻くずと化し、一生の間暗闇を彷徨うのは嫌だ!
それだけは絶対に嫌だ!!!
戻るも闇、留まるも闇なら、勇気を出して、遥か先に僅かに輝く光、微かに聞こえる声に向かって、一歩でも近づいていくしかない。
その光が何万光年、何億光年先にあろうとも、最初の一歩を踏み出すしかない。
その果てしない旅を始めるために、今までの間違っていたこと、恥ずかしいこと、知られたくないことを、素直にここに書いてきました。
でも、それは、懺悔でも、反省でも、後悔でもありません。
なぜなら、それは単なる感情の自己肯定にしか過ぎないから。
全て、書いて、吐き出す事で、心を空っぽにしたのです。
シュジャート師匠から学び始めるために!!
「リンゴは最初から無かった」は、過去を引きずらず、未知の明日に向かっていく事。
それがわかった今、
後悔している暇なんてない
悩んでいる暇なんてない
今すぐ、シタールをケースから出して、練習を始めます。
生まれて初めてシタールと向き合うように…
それが、僕の何万光年、何億光年の旅の第一歩。
なぜならば…
「あした」は、昨日の続きではなく、
「あした」は、未来からやってくる新しい日だから!!
-完-

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